鬼滅の刃のアニメ柱稽古編の第一話で産屋敷あまねが謎の発言を残しました。
「痣が発現した方はどなたも例外なく…」
例外なく何?続きは?
気になる終わり方だったので続きが気になりますよね。
そこでこの記事では、痣が出たら例外なくの続きについてまとめています。
目次
鬼滅の刃で痣が出たら例外なくの続きは?
痣が出たら例外なく25歳までに死ぬ
痣が出た人は例外なく「25歳までに死ぬ」というのが産屋敷あまねの発言の続きです。
痣の訓練をする前に伝えしなければならないこととして、寿命のデメリットを伝えました。
自分より実力が上の鬼と戦うことになるので、痣を出さないと25歳まで生きることさえできませんよね。
寿命のデメリットを知ったうえでも、痣の発現は柱の急務でした。
寿命のデメリットについては、無限城編で上弦の壱である黒死牟が悲鳴嶼行冥に対して以下の発言をしていました。
「痣の者は例外なく…二十五の歳を迎える前に死ぬのだ」
ただ、黒死牟は噓をついていたのです。
例外はあったんです!
だから、例外なくのあとに…というためらいがあったのですね。
実は例外はあった
黒死牟の弟である継国縁壱は痣者でありながら、80歳近くまで生きています。
縁壱が80歳くらいのころ、鬼化した黒死牟を倒すために現れました。
鬼になった黒死牟と対戦しようとした矢先、立ったまま寿命を全うして亡くなったんです。
戦いの末…とかじゃなくて寿命で亡くなりました。
25歳を超えても生き延びる可能性もあるということですね。
鬼滅の刃の痣発現者一覧とその後
鬼滅の刃の痣者一覧は以下です。
- 継国縁壱
- 黒死牟
- 悲鳴嶼行冥
- 伊黒小芭内
- 甘露寺蜜璃
- 時透無一郎
- 冨岡義勇
- 不死川実弥
- 竈門炭治郎
他にも継国縁壱と同じ世代で痣者がいましたが、みんな25歳までに亡くなっています。
痣の発現者たちは、その後どうなったのかをまとめます。
継国縁壱
継国縁壱は、
- 呼吸の始祖(日の呼吸)
- 初めての痣者(生まれつき)
という要因からか、25歳が寿命というデメリットを唯一克服して80歳近くまで生きました。
大正時代なので80歳は一般人の平均寿命すら超えています。
継国縁壱は何でもありのチートキャラです。
黒死牟
近くに痣者がいると共鳴しあうように増えていくので、縁壱と鍛錬してるうちに発現しました。
黒死牟は痣が出た後、鬼になっています。
ある意味、寿命というデメリットを克服していますね。
悲鳴嶼行冥
悲鳴嶼行冥は痣が発現した時点で27歳でした。
つまり、25歳をこえても即死するというわけではありません。
痣発現後は、鬼舞辻無惨に倒されたので27歳で亡くなりました。
ちなみに、悲鳴嶼の痣の位置は腕で、ひび割れみたいな模様です。
顔に発現してる人が多いから、どこ?って思いますよね。
伊黒小芭内
伊黒小芭内は最終決戦で痣が発現し、その日のうちに鬼舞辻無惨に倒されたので21歳で亡くなっています。
伊黒の痣の位置も顔ではなく、左胸から左腕にかけて発現しています。
甘露寺蜜璃・時透無一郎
甘露寺蜜璃と時透無一郎は刀鍛冶の里編で上弦の鬼と戦っていた時に痣が発現しました。
2人(ほぼ時透)の情報から痣を発現させるための条件や、痣発現後の状況についてわかりました。
2人とも最終決戦で倒されたので25歳より前に亡くなっています。
冨岡義勇・不死川実弥
冨岡義勇と不死川実弥は最終決戦で痣が発現し、生き残った柱です。
2人とも21歳の時点で発現しているので、鬼舞辻無惨を倒して平和な日常になってからは4年の寿命ですね。
2人の最期は描かれていませんが、25歳までになくなっている可能性が高いです。
竈門炭治郎
竈門炭治郎は遊郭編で痣が出現しており、この時代では初めての痣者になりました。
炭次郎は最終決戦のあとも生き残っていますが、その後は描かれていないので何歳まで生きたのかは不明です。
炭次郎も縁壱と同じく例外で、25歳という寿命を克服しているのではないかと予想しています。
まとめ
鬼滅の刃の痣について
- 痣が出たら例外なく25歳までに死ぬ
- 実は例外があり、縁壱は80歳まで生きた
- 痣者の柱たちはほとんど25歳までに亡くなっている
- 炭治郎は寿命のデメリットを克服した可能性もある
とわかりました。
最終決戦の後、生き残ったキャラの最期は描かれていないので、実際に25歳までに亡くなったのかはわかりません。
平和な時代で長く生活できていたらいいなぁと感じます!